仕事とは何か?<前編>

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知り合いの誰にこんなことを言われたと仮定します。さて、どのように受け取るでしょうか。

「僕は1週間のうち4日間は登山したりキャンプしたりしているよ」

こんなことを言われたら、どんな反応をするでしょうか。彼はまだまだ働き盛りです。既に定年したわけでもありません。大半の人は、こう考えるのではないでしょうか。

仕事はしてないのか・・・?

似たようなことを考えた方は、残念ながら消費主義社会の罠にかかっています。4日間は登山やキャンプをしているとしても、3日間は仕事をしていると考えられるわけですが、たった3日の仕事で生きていけるのかと疑問を感じたはずです。

彼は既に必要十分な物を持っていて、家庭菜園であらゆる野菜や果物を育てていて、家も服も揃っているとしたら、毎月に必要なお金はそこまで多くはないはずです。3日の労働でも十分に生活できていけるのでしょう。

仕事をしていないのかと疑問を抱くということは、あなたの人生の大半を仕事で埋め尽くされており、生きることは仕事をすることだと考えているからではないでしょうか。まるで仕事をしていないと生きる価値が無いと言わんばかりです。

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狩猟採集時代から産業革命を経て現代へ仕事の価値は変わった

1日の最低限の仕事量については、はるか昔の石器時代は1日3時間程度だと指摘されています。西洋文化に影響を受けるまで、とある部族の男性は週に2日半程度しか狩りに費やさなかったそうです。女性も同じくらいの時間を採集に費やし、残りは友人へ訪問したり遊んだり儀式だったりであったそうです。

産業革命以前は、この1日3時間労働が適当だったようです。当時は仕事も遊びも同じベクトルで考えられていました。しかし、産業革命によって労働者は「仕事の時」と「仕事以外の時」とに隔てられるようになりました。

こうして労働者は1日の大半を仕事に費やさなければいけなくなりました。しばらくして労働時間の長さに反発を起こし、労働時間の短縮を求める動きが起きました。労働時間が短くなれば、その分をコミュニティへの参加によって社会により深く関わることができると主張されました。

1929年に引き起こされた世界恐慌によって、図らずとも労働時間は大きく削られることになりました。週35時間労働で済むようになったというか、たくさん仕事が出来なくなってしまいました。ここで人々の意識に大きな変化がもたらされることになります。

仕事をしていない時間は人生を有意義に活用する余暇ではなく失業状態なんだと。失業すれば経済は悪化し、賃金を停滞させ社会も個人も貧しくなっていくと考えられるようになったのです。余暇は楽しむための自由な時間ではなく、消費をすべき時間だということです。

昔の人々にとって、自由な時間というのは人生を活気づけて、コミュニティに参加し自分を解放するものであったのが、現在では将来の不安を抱かせるものに変わってしまったのです。

自由な時間よりも仕事が優先されるようになったわけです。社会の大半の人がこのように抱くようになり、仕事の時間を人生の大半の時間に注ぎ込むようになると、自由に過ごしている時間はなんだか孤独で退屈、その時間に働けばお金が貰えるのにという未来への恐怖を感じてしまうようになったのです。

冒頭でこの人は仕事をしていないで大丈夫なのか? と疑問を抱いた人は、仕事をしていない時間が将来への不安と結びつけて考えてしまっているのでは無いでしょうか。

今では仕事はあらゆる人生の目標を担うようになりました。社会的地位、名誉、贅沢、尊敬、権力、報酬、人生の目的でさえ仕事に求められるようになりました。企業という組織に属することで、自分はコミュニティに属していると感じ、家に帰るよりも職場にいることを望む人も多くいます。

家族やパートナーよりも長い時間を過ごし、仕事の成功を最も重視するために、家族を蔑ろにしたり、家庭崩壊もおきています。果たして仕事とは何なのでしょうか。<中編>にてさらに深掘りして考えていきたいと思います。

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