時間こそが本当に大切にするべき豊かさ

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「Time is money」という言葉があるように、時間はお金と同等の価値を持ちます。ほとんどの人たちは、自分が保有しているどれくらいあるかわからない時間を切り売りしてお金を稼いでいます。ですが、お金と時間では明らかに違う性質があります。

それは、お金は失っても取り戻す事が出来ますが、時間は失っても取り戻す事が出来ないということです。つまり時間とは、再生不可能な、極めて希少な資産であるということなのです。時間というのは、過ぎ去ってしまえば取り戻すことはできません。今日という一日は、二度と来ることのないかけがえないの一日なのです。

また、お金は使わない分は貯めておく事が出来ますが、時間はためておくことはできません。そして、私たちに与えられた時間はどれだけ残っているのか、誰にも分かりません。あと何十年と残っているかもしれないし、もしかしたら数ヶ月しか残っていないかもしれない。人生は永遠には続きません、だからこそ、今この瞬間こそが大事なのです。

私たちは、日々の生活の中で生きていく上でお金を重視するか、時間を重視するかの選択を迫られます。お金がなければ文化的な生活を維持できないですし、時間がなければ人生を幸福感を持って生きる事が出来なくなります。

別記事でも書いていますが、今の現代社会の私たちは時間よりもお金を重視しがちです。世界恐慌以降、日本では戦後の復興から常に労働し消費し経済を発展させることが正しいと受けつけられてしまっているので、仕事もせずゆっくり時間を過ごしていると何か申し訳ない気持ちになってしまいます。

今は安く物を買う事ができるようになり、生活環境は向上しているので、そんなに沢山のお金や物が無くても十分に生活できることがわかってきました。そして本当はそんなに物は必要ないのだと理解してきました。となれば、そのために稼ぎすぎても時間が犠牲になってしまうのでは無いでしょうか。

ちょっとした例をお話しします。これは消費社会に影響を受けすぎている例として参考にしていただければと思います。食器洗い機ってありますよね、機械に食器類を入れれば自動的に洗ってくれる装置です。自分たちが洗剤をスポンジであわ立てて洗う労力が必要なくなるので非常に便利です。

さて、食器洗い機と一言でいっても沢山の種類があるので難しいですが、国内メーカーの物であれば数万円はかかるでしょう。果たしてこの数万円は、支払う必要性があるものなのでしょうか。

そもそも、食器洗い機が必要なのはどうしてでしょうか。便利だからですが、その便利さはわざわざ自分の寿命を削って手に入れたお金を消費してまで手に入れなければいけない便利さなのですか?余程の大家族でもなければ、食器洗いはそこまで時間をかけて行う家事ではありません。

それとも食器を洗う時間さえもないのでしょうか。それならば、残業の時間を少し減らしてみてはいかがでしょうか。給料は少なくなるかもしれませんが、時間を削って得た給料で食器洗いを買って、種類によっては取り付け工事にお金をかけるなら、そもそもその残業は不要かもしれません。

寿命を削ってお金を稼ぎ、そのお金を仕事をしていなければ払う必要のなかったものにかけているとしたら、一体何のために働いているのでしょうか。これこそ消費主義の罠にかかり経済を回すためにあなたの人生を犠牲にしている原因ではないでしょうか。

テレビやインターネットの広告は常に「これを買えばあなたの人生がより良くなる。便利になったり楽になったりしますよ!」と誘って、常時あなたのお財布の中にあるお金を狙っているわけです。こういったメディアに長時間触れている人は、広告の魔力に気づかず引っかかってしまいます。仕方がありません、番組の合間にひっきりなしに勧誘してくるのですから。

労働をしていないと申し訳ない気がするのは、余暇では経済貢献をしていないという後ろめたさを植え付けられているからです。でも、そんなことはありません。雇われ仕事をしていないことは、非国民に直結するものではないのです。むしろ、無駄なものにお金を払っていると、自分の時間だけが失われていき、結果的に幸福から離れてしまいます。

時間はお金と同等の価値を持ちますが、お金と違ってストックもできず消費し続けるものです。有限であり、絶対数を増やすことはできません。ただ、一日の生活の中で自由な時間を生み出すことは可能です。人は時間を重視した方が幸福度が上がるという研究結果もあります。今こそ、より良い人生を作り出すために必要な時間という資産をどのようにして有効に活用するかが大事です。

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