経済的自立を確立するために何よりも目指さなければいけないのは、今より多くのお金を稼ぐことではありません。どのくらいの金額が自分にとって十分なのかを知ることにあります。お金や経済のために自分を犠牲にする生き方から、良心に従った選択をできる生き方に変えることです。
お金の使い方や稼ぎ方は、あなたの考え方に影響を受けています。自分自身の考え方を明確に客観視できるようになることで、支出や収入のパターンがリセットされるのです。
ただ生き抜くために、不安定で制御不能なお金に頼らなければいけない社会とは、一体どんな社会なのでしょうか。
経済的自立思考を学んでください。お金に頼る生活からあなたを解放することが経済的自立につながります。自立とは、将来性のないルーティン作業や仕事、人間関係、考え方を切り捨てることであり、他人との相互の関係性を切り捨てることではない。最も幸福な瞬間とは、人を愛し、人に尽くすことによって訪れるもの。私たちは、人生を有意義なものにすることにより多くの時間を割きたいと考えています。
経済的自立に到達し、十分な休息をえて、昔からの夢を叶えた暁には、ほとんどの人が世の中を良くするために自分の時間を使いたいと考えます。
どれだけのものを手に入れても、やがてくる「これだけなのか?」と言う自問に答えることはできません。多いほど豊かだと考えているからです。よく考えみてください。多いほど豊かということは、現状に常に満足できないということです。要するに、『決して満足することはない』という意味なのです。
このまま燃え尽きて会社からお払い箱になるまで、ずっと働き続けるのですか?
仕事を辞めたら、貯金を取り崩すだけの生活をしながら、死ぬまで悪戯に人生を浪費するのですか?
今の生活を考えてみてください。朝6時に起きて、歯を磨き、顔を洗い、軽く朝食を食べ、服を着替え、車や電車、バスや自転車を使って職場に決められた時間内に向かいます。それから上司・同僚・取引先など多方に気を使いながら仕事をします。ノルマがあればさらにストレスは強くなります。なんとか定時を迎え、残業もしつつやっとの思いで職場を脱出し、クタクタになって家に帰ります。夕飯を食べて、風呂に入り、少しばかりテレビやインターネットをしたらもう寝る時間です。そしてまた朝6時に起きる。
どこに人生があるのですか?
どこに生きる意味があるのですか?
なんのために働いているのでしょうか。生計を立てるためでしょうか。ならば、生計とは上記のような生活のことを指しているのですか。仕事によって健康や人間関係、好奇心が犠牲になっていませんか。それであれば、なんのために働いているのでしょうか。人生を犠牲にしてお金のために働いて、あなたは何を得るのでしょうか。高級な車ですか、お高いネックレスや時計ですか、サシの入った牛肉や、フカヒレやフォアグラを食べるために働いているのですか。
さらに現実を直視していきましょう。辟易する平日をなんとかこなし、ようやくお休みに入ります。どのようにして過ごすでしょうか。家族をどこかに連れ出して出かけるかもしれません。車を使えばガソリンが減るので、スタンドに言って値上がりするガソリン代に文句を言いつつガソリンを補給します。平日分の食料を買うためにスーパーに行きます。目についた本当は買う予定になかった飲み物や食べ物を無意識にカゴに放り込みます。
そういえば服が物足りないと服屋に足を運び色々と悩みながら服を買います。そうしたら服に合う靴が欲しくなったので靴屋で綺麗な靴を買います。最近不調な家電をため息まじりに修理に出し、ボロボロになった家具を替えるためにホームセンターに行きます。夕飯は贅沢に外食をしようとお店に入り、ちょっとだけプレミアムな食事をします。家に帰り、テレビを見ているとCMでは豪華な家や車の宣伝が続けて映し出されます。こんな家や車があればなと空想しながら現状に劣等感を抱きつつ布団に入る。
平日は数多くの嫌な思いをしながらなんとか切り抜けて、お休みになれば必要以上の物にお金をかけていませんでしょうか。もっと稼ぎが増えれば良いのにと思うかもしれませんが、残念ながらパーキンソンの第二法則によれば支出の額は収入の額に達するまで膨れ上がるとされます。あなたがどんなに多く稼いでも、その分買うものが増えるだけなのです。
あなたが普段買っているものは、本当に必要ですか?
人生の目的をお金や物に置き換えるのは辞めましょう。どんなに溜め込んだところで、死んだら天国には持っていけないのですから。命が尽きるその瞬間に、今まで買った物のことを走馬灯のように思い出すでしょうか。
今こそ、大切なのは物でもお金でもなく時間なのだということを認識しましょう。
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