毎日「よしっ」と思える日々を【日日是好日】

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現代人である我々の時の流れは非常に早くなっています。とりわけ勤勉な日本人は時間には細かく、待ち合わせの時間に5分でも遅刻しようものなら怒られてしまうかもしれません。

例えばイタリア人は時間にルーズです。待ち合わせの時間に来ることは少なかったり、電車のすぐに遅延したりします。きっちりしているのは日本人の良いところでありますが、同時に一般常識や決まり事にがんじがらめになってしまい、ゆっくりと生きることができなくなってしまっていると思います。

私も同じですが、サラリーマンの大半は平日は早く金曜日にならないかと願いつつ日々を消化していきます。そしてようやく迎えた金曜日もすぐに終わり、日曜日には明日はまた仕事かと憂鬱になります。これってどうなんだろうって、誰もが思ったことがあるはずです。

誰に指摘される必要もなく、一日一日が大切な時間であるということは誰もが知っていることです。なのに、退屈な時間から逃げるように、一日を消化するというような表現をしてしまうのでしょう。

禅語に「日日是好日」という言葉があります。故・樹木希林さんがお茶の先生役で演じられた茶道を主題とした日本映画のタイトルでもあります。もともとは中国の唐時代の禅師の言葉であります。

意味は言葉通りに直訳してしまうと「毎日好い日」という意味不明な言葉になってしまいます。毎日が好い日なんてあるわけがないじゃないですか。仕事で失敗することもあれば大切なものを失うこともある。雨で出かけられないことやお金を無くすこともある。

しかし、禅の基本的な考え方は『大切なものは過去でも未来でもなく今この瞬間である』というものです。これは非常に大切な言葉です。刹那主義ではありません。

禅においては、過去は考慮しません。どんなに過去嫌なことがあってもそれに引きづられては今を精一杯生きられないからです。また過去良かったことも引きずりません。過去の栄光に縋ることでやはり今を精一杯生きられなくなってしまうからです。

未来に期待もしません。未来は今の積み重ねによって織り成されるものであって、どうなるか分からない将来に思いを憂うこと自体、今を精一杯生きられなくしてしまうからです。

雨が降れば雨を楽しむ、嵐になれば嵐を楽しむ、楽しいことも、嫌なことも、それによって心を澱ませるのではなく、前向きによし、頑張ろうと人生を積極的に生きることで日々はすべからく好い日(よし、と思える日)であるという意味が、日日是好日という言葉なのです。

私はこの考え方が好きです、禅だけでなく遥か昔のギリシャやローマの哲学者や詩人でさえも同じようなことを言っています。今この瞬間を生きろと、。私たちは毎日同じ日々がこれからも続いていくと勝手に思い込んでいます。だからこそ、早く金曜日になれば良いなとかあれこれを明日やろうと考えるわけです。

でも、誰も明日の無事を保証なんてしていないわけです。100日後に死ぬワニじゃないですが、明日もしかしたら交通事故にあって死ぬかもしれません。重大な病気が表面に顔を出してくるかもしれません。そうなれば、今日と同じ日々を過ごせなくなってしまいます。

不安や苦悩とは先の見えない将来から来ます。でも、どうなるか分からないことを苦よくよ悩んでも仕方がないじゃないですか。投資の世界も同じです。将来の株価なんて分かりませんし、考えたところで答えも出ないし株価はコントロールできません。

大切なのは、考えても仕方がないことは考えず、目の前にあるものを大切にすることなんです。今日死ぬかもしれないことを恐れて外へ出かけない人はいるでしょうか。人間は根本的にポジティブな人間だそうです。失敗して諦める人間ならそもそも二足歩行していないそうです。

未来は今の積み重ね、だから無理に行き先を決めず、ゆっくり生きていくのが好いです。焦って階段を一段飛ばしで登っても、つまづいて転んで怪我をしてはもともこもありません。

ゆっくりと生きましょう。

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