お金とは何かを考える〜お金は人生を犠牲にして稼ぐもの〜

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1854年、アメリカのヘンリー・デヴィッド・ソローという作家が、森で過ごした2年間の経験をまとめた『ウォールデン』という作品があります。ソローは森で暮らした動機として「自覚的に生きたかった、生きるのに欠かせない事柄だけに目を向けたかった。死の間際になって、自分は存分に生きてこなかったと気づくようにはなりたくなかったから」と記しています。

ただ、森での生活を通してソローが知りたかったのは、自覚的に生きるための経済観を確立することでもありました。つまり、食べ物、雨風をしのぐ家、防寒などの、人間の基本的な欲求を全て満たすライフスタイルを維持するためにはどれだけのコストがかかるのかを正確に示すための生活であったのです。

ミニマリスト的なライフスタイルを維持するために、どれだけの時間を費やす必要があるか、日々の生活の中でデータを集計し、週に何日働けばその賃金で生活を賄えるのかを計算することが重要だったわけです。

金銭的価値を時間的価値に変換するという、哲学者フレデリック・グロが『ソローの新経済論』と呼ぶ理論を知ることで、ミニマリズムにおける重要な認識を獲得できることになります。ソローの新経済論は、次の原理を土台にしている。

『物の値段(コスト)とは、短期的、長期的に見て、それを手に入れるのに費やさなくてはいけない、生活と呼ぶものの量である』

ソローの新経済論は、大量消費社会や資本主義の文化を根本から考え直すよう促す。一般的な経済観では、金銭的な成果に注目する。1エーカーの農地で作物を育てて得られる利益が年間1ドルで、60エーカーなら年間60ドルに利益だと仮定する。

この場合、可能であれば60エーカーで作物を育てて60ドルの利益を得る方が良いと考えがちだが、ここには上積みされた59ドルの利益を産むために生じる生活コストが計算に入っていないのだ。農作物を育てるために広い畑を持てば、多額の借金、農具の維持管理、厳しい労働が必要になる。

ソローは「多くの人は静かな絶望の中日々を過ごしている」という有名な一文を書いた。農民たちは、上記のような心労や苦労をして手にれた余分な利益をどんなメリットを得たのか。もし週に1ドルあれば最低限の生活ができるとすれば、それ以上の労働は本来不要なのだ。

心労疲労を重ねて得た余剰の利益でどんなメリットがあるのか。質の良いブラインドか? これでは割りに合わない。窓辺の見栄えが良くなることは、人生の大半と交換するだけの価値があるとは誰も思わない。また荷馬車を買えば町まで行く時間を徒歩よりも節約できるだろうが、荷馬車を買うために稼ぐなければいけない時間よりは短いだろうとソローは言う。

借りられるだけお金を借りて農地を買い、農機具を買って作物を栽培し、金銭的利益を求めるのが現代の資本主義とも言えるが、重要なのはその利益と【生活】で測ったコストを比較することだ。

自分の生活時間こそが、計量可能な価値ある資産であり、私たちが持つうちで最も価値の高い資産として扱い、自分が時間を割くさまざまな活動に生活のどれほどを費やしているのかを常に意識するよう教えてくれる。

私たちの生活に散らかっている、不可欠とは言い難い事柄にかかっているコストの総計と、一つ一つから受け取っている小さな利益の総計とを比較すると、大概の場合、コストの方がはるかに大きい。

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まとめ

ソローの新経済論では、時間こそが人生最大の資産として考えている。お金とは物を交換するために生み出された保存可能な道具であるが、我々は自分の人生エネルギーを消費してこのお金を稼いでいる。人生において必要不可欠でもない物を買うと言うことは、必要ないものに自分の寿命の一部を差し出していることに他ならない。

これは、物質的なものだけでなく、サービスやデジタルツールにおいても適用される。TwitterやFacebookは確かに便利であるが、それに費やす時間はどれだけのメリットを生み出すのか。例えば人脈を広げるとか興味深いアイデアに触れることに価値を見出すなら、面白そうな講演会やイベントに毎月一つ参加して、その時に最低でも3人の参加者と話をする義務を自分に課してみてはどうだろう。何十時間もかけてTwitterやFacebookに費やすよりも、たった数時間で同等の利益を得られるのではないか。

そうすれば、浮いた何十時間を別のことに使えるのだ。

お金=寿命の一部であることを理解しなければいけません。その上で、人生で最低限不満なく生きていくために必要なお金を算出し、そのためにはどれだけの労働が必要なのか計算するのです。

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