喫茶喫飯

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禅の言葉の一つに、喫茶喫飯というものがあります。意味は文字通りですが「お茶を飲むときはお茶に、ご飯を食べるときはご飯に集中しなさい」という意味です。

現代人は時間と情報に追われています。私もよくやってしまっていたのですが、食事をするときにはiphoneで経済ニュースなどを見ながら食事を摂るのです。いわゆるながら作業というやつですね。でも、これってとてももったいないことなんです。

喫茶店に行けばコーヒーを片手にパソコンで作業したりスマートフォンをいじったり、あるいは本を読んでいたりとしますが、このような行為はどっちつかずで感性を錆びつかせる行為なんだそうです。

例えばコーヒをー片手に作業をする時、果たしてコーヒーの味をしっかり味わっているでしょうか。テレビを見ながら食事をする時、どちらに意識を傾けているでしょうか。テレビに傾けていれば食事のおいしさなどきっと思い出すこともできないでしょう。食事に意識を傾けていればテレビの内容は覚えていないでしょう。

喫茶喫飯とは目の前のことだけに集中しなければ、どちらも半端で散漫になり、効率的であると思っていても実際は非効率になってしまうという警鐘を鳴らすものなのです。確かに私も食事をしながらニュースを見ている時、食事のおいしさやお茶の香りなど気にもしていないと気づかされます。

食事はただの栄養補給と考えていると、その時間は淡白なものとなり、心や感性を鈍らせてしまいます。音楽を聴きながらジョギングするのも良いですが、鳥のさえずりや街の喧騒、風のささやきは聞こえません。効率的と言われるものは、本当に効率的なのか、喫茶喫飯は考えさせてくれます。

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これは人生というものにおいて、自分にふさわしい人生を探すためにあれもこれもと色々転々としている人にも言えるそうです。本人はまず何でも試すためにあれこれとやってみている。それ自体は悪いことではないのですが、如何せんあまりに選択肢を広げてしまうことで一つ一つが雑になってしまうかもしれないのです。

そうではなく、一つの仕事、目の前の仕事を丁寧に集中して向き合い、感謝と反省を持って真摯に学ぶことで、自らを成長させ新たなステージへと引っ張り上げられるという話だそうです。遠い将来を夢に描くのは素晴らしいことですが、どうあがいてもその場所にはすぐにはたどり着けません。

禅の考え方は基本的に、今だけに集中するということに集約されていると思います。過去に囚われず、未来に惑わされず、ただ今この瞬間だけを生きていれば、余計な雑念に迷わされることはなく、一瞬一瞬を精一杯に生きることができる。それがやがて人生を作るという考えです。

どんな不安があったとしても、お茶を飲むときはお茶に集中して、茶葉の香りや味を楽しむ心を持ちましょう。食事を食事に集中して、素材のおいしさや彩を楽しむことに専念しましょう。

雑念があれば意識を欠いてしまします。あっちこっちに気を散らさないで、目の前にあるものにだけ意識をすることで余計な雑念も払えるよ、ということなんですね。これは投資にも言えると思います。

長期投資をするのなら、企業のことだけみていれば良いじゃないですか。しっかり今日もキャッシュを稼いでいるのならそんなに心配することないですから。コロナで世界が崩壊するわけでもないし。株価の下落はただのセール。

人生でも投資でも、雑念は捨てましょう!

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