欠乏意識は不幸の片道切符

この記事は約4分で読めます。

欠乏意識という言葉をご存知でしょうか。この意識は、日々の人生を悪い方向を向かわせる悪しき意識なので、日常生活でこの意識を中心に生活している人はまずこの欠乏意識を変えなければいけません。

欠乏意識とは、「常に持っていない、やっていないといった足りないことだけに意識をとらわれてしまうこと」を指します。この意識で行動したりすると負の感情に飲み込まれていってしまいます。

欠乏意識の源泉は、不公平感です。人は他人の持っているものを羨み、自分は持っていないことに対して恵まれていない、対等ではないという嫉妬のような意識を持つようになります。それがたとえ生きていく上で必要のないものだとしてもです。

この世界にある資源は有限で、誰かが持っていってしまっては自分の分がなくなってしまうと考えがちです。人よりもたくさん持ちたい、人より良いものをたくさん持ちたいという物欲は、やがて心とお金が枯れるまで続くことになります。

自分は借家だけど、あの人は持ち家を持っているとか、自分はファミリカーなのに、あの人はポルシェに乗っているとか、私は毎日コンビニ弁当で済ませているのにあの人はオシャレなレストランで外食ばかりしている、とか。

スポンサーリンク

人は自分と比べて、常に相手が持っていると感じてしまいます。自分の自信のなさがそうさせてしまうのですが、こう言った意識が欠乏意識となり、負の感情を生んでしまいます。

しかし、上であげた三つの羨みですが、こういう考えもできるはずです。

持ち家は日本では建物の価値は経過年数で低下していく。高い金を払って家を買っても最終的には二束三文の売値しかつかない負債になり得るかもしれません。

ポルシェなどのお高い外車は確かにカッコいいし自慢できるかもしれませんが、ランニングコストもかなりの費用がかかりますから、保有するだけでもたくさんのお金を使ってしまいます。国産のファミリーカーだってしっかり走りますし燃費も良いし快適です。

お洒落なレストランの食事も確かに豪勢だし美味しいですが、よく芸能人が格付けランキングとかしているように、高くなくても負けないくらい良質なものはいくらでもあります。それに毎回高い食事をしていたらそれだけでお金がなくなっちゃいます。

如何でしょうか。羨ましがっているものが、本当に良いものとは限りませんよね。でもそれでも自分に持っていないものに憧れてしまうのが人なんです。憧れること自体は決して悪いことではありません、それは否定してはいけません。

ただ、何かしたいとか欲しいとか思った時、その行動原理が欠乏意識からになってしまってはいけないのです。お金が欲しい! と思った時に、その理由が将来が不安だとかネガティブな理由によって行動したものは、得られる結果もネガティブです。

スポンサーリンク

でもお金が欲しい理由がイタリアのヴェネツィアで美しい景色やゴンドラに乗りたいとか、家族や両親に美味しいものを食べさせてあげたいとか、そういうポジティブなことが目的だったら、きっとお金を貯めるのも楽しいですし、もちろん結果もポジティブでしょう。

欠乏意識を取り払うには、禅やマインドフルネスが近道です。ちょっと前ですが断捨離とかミニマリズムと言ったものが欠乏意識を変えていく力を持っているように思えます。

現代社会はものが溢れています。いわば消費社会であり、物を生産し、消費することで社会経済を成立させています。しかし、それゆえ企業やメディアはものをたくさん持つことを脅迫してきます。

人々の消費意欲を刺激して、如何にして商品を買ってもらうかばかりが世の中に広まりすぎているので、その波に飲み込まれてしまうんです。よく考えれば必要のないものでも、みんなが持っているというだけで欲しくなるんです。

そして、自分が持っていないことに恥を感じて物を求めると、いつの間にか欠乏意識にとらわれてしまいます。まずは、物はそんなに持たなくても良いんだという意識を自身に植え付けなくてはいけません。禅やマインドフルネス、断捨離などはこの意識改革を手助けしてくれるものになります。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました