資産とは?

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資産(assets)というと家や車、家具やお金と言ったものを思い浮かべると思われます。もちろんそれらも大切な資産ですが、それ以外にも形のない資産というものも存在します。どちらが大切かというわけではありませんが、有形資産には限界があるため、最終的には無形資産に力を注ぐことになるでしょう。

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資産には大別して2種類ある

まずは、資産には大まかに2種類あるとご理解してください。1つ目は「有形資産」です。つまりはお金や家、車といった物質的な物です。この世界の大半の人たちが最も人生をかけて増やそうとする資産です。『もっと多ければ豊かになる』という根底にある観念が物質に執着させる要因ですが、これは社会を生きていく中で自然と培われたものであり、簡単には取り除くことはできません。

なぜなら、欲しいものを外部に求めるというのは赤ん坊の頃からの理解であり、幼児の時のおもちゃから始まります。子供の頃に物をあまり与えられなかった人は多くの物を持つことに対する憧れがあり、大人になったら何でも買いたいものを自分で買うという考え方が形成されていき、これが物質依存に進ませます。

やがてある程度物を所有してくると、必要最低限以上のものは手に入ることになります。そうすると人は次に2つの理由で物を増やしていこうと考えます。1つは「不安」です。人よりもお金や物が少ないと、何かがあった時に困ることへの不安があります。お金が無いと感じている人は、お金が無いと万が一に備えられなくなると不安になり、お金がある人はお金を失うことに不安を抱きもっと増やそうとします。

もう1つは「満足感」です。他人より物やお金を持っていればそれだけで自分が他人よりも優位にいると感じることができます。くだらない話ですが事実です。人は他人の持っているものと自分のものを比べて、自分にないものばかりに目がいきます。だから他人よりも多くを求めようとする。

結果としてそれは無限の欲求となりあなたを苦しませることになります。無限の欲求はその名の通り尽きることがありませんので、無限に物やお金を欲しがるために死ぬまで雇われ仕事の奴隷となり、やりたくもない仕事のためにストレスを背負いながら僅かな休日を目指して働き、休日は平日の疲れでろくなことも出来ず終わってしまい、また平日を迎えるのです。

これでは残念ながら死ぬまで幸福になることはできないでしょう。大量消費社会の罠に気付き、物が多いことが幸福ではないことに気づかなければいけません。まずはそのために自分にとっての「十分」を知ることです。禅の言葉でいえば「知足」です。龍安寺の蹲踞に書かれている「我唯足知」です。

辞書では足るを知るとは身分相応に満足するとかある物で我慢するような意味合いで書かれていることが多いですが、これらは明らかに間違っています。知足とは諦観を示す言葉ではなく、『ある物で十分満たされていることを理解する』ということです。誰も不相応に生きろと敷いているわけではありません。

真の経済的自立を目指す上で、この「知足」の考え方が非常に重要な考え方になります。この考えを理解出来なければその先へのステップには移れないと言っても過言ではありません。それくらいに大事なことです。

知足とは、自分の人生で、これくらいあればとりあえず問題なく生活できるなというラインを知ることです。少しくらいの贅沢は構いません。これ以上のものが増えてもそれほど幸福感を上がらないというラインを見つけることです。

そうなってくると、人に必要な「有形資産」は上限があることが分かってきます。つまりそれ以上はどれだけ多く増やしてもそれほど幸福にはなれないということです。自身の中でこれ以上は必要がないラインに到達した場合の対処法は別項の記事で解説しますが、ここでは簡単に説明します。

物が知足のラインを超えた場合でも、人は知らず知らずに多ければ豊かという深層化にある無意識が買い物に走らせる傾向にあります。この根本的な解決策が「ミニマリズム」です。ミニマリズムは不要なものは手放して、自分にとって大事な物だけにする考え方です。最も大事な生き方である「一所懸命」に通ずるための手段です。

そしてお金に関しても、無一文の時はお金が増やして生きる糧を得なければと不安になりますが、知足のライン以上にお金を貯めてくると、今度は失うことが怖くなります。せっかくここまで貯めたのだから減らしたくないと言った保守的な考え方は、人生の選択肢を大きく狭める可能性があります。

知足のラインを超えたお金、これを余剰資金と言いますが、これは投資に回すのが最善です。そうすれば手元にお金はないですが失ったわけではありませんし、お金がお金を生んでくれる期待もできます。経済は仲良くするパートナーであって、奴隷になってはいけません。

有形資産が知足のラインを超えた場合でも生活は続いていきます。物は買う必要がないのでそちらにお金を回す必要はありません。そうなれば、貯蓄もしくは投資に回すか、もう一つの資産に回すかのどちらかになるわけです。

有形資産と無形資産

有形資産は、一定水準の十分な領域を超えてくると、それ以上増やしたところで幸福感を増大させることには繋がらないことがわかりました。では、十分以上のお金があったらどうしたら良いでしょうか。

1つは貯蓄です。これは手元資金と言って良いもので、貯蓄があればとりあえず明日食う飯に困ることはありません。とりあえず銀行の普通預金にでも入れておけば、いつでも出し入れできて急な入り用に対応もできます。資金管理については別記事で解説しますが、まず第2の選択肢でしょう。

2つ目は投資です。こちらも投資の記事で色々解説しますが、余剰資金はお金に働いてもらい、労働以外の部分からお金を稼ぐことができるのです。お金は人生の寿命を削って得ているもの。私たち一人が稼げるお金の量には限度がありますが、お金にも働いてもらえればお金はさらなる力を持ってくれるようになります。

そして、もう1つの資産である、無形資産に回すことです。無形資産とはわかりやすい例を挙げれば「能力」や「スキル」、「人脈」と言ったものです。これらは形として目の前の有るものではありませんが、確実に私たちが生きる上でプラスに働く価値のあるものです。

たとえ雇われ仕事を辞めたとしても、これらの無形資産が新たな仕事を生み出してくれるかもしれません。今まで業者や他人にお金を払って任せていたものを可能の範囲で自分でやってみては如何でしょうか。そうすればお金もかかりませんし、新たな技術が身につくかもしれません。

人脈づくりも大切です。あらゆるコミュニティに属したり、知人友人との関係を大切にしたり、生存するため、そして成功するための能力に投資をし、他人を手助けしてください。そうすれなば、雇われ仕事を辞めたとしても人生に退屈することなく、社会での居場所を見つけることができるはずです。

最終的には、有形資産は限りがあり、必要以上のものはそれほど幸福感を与えてくれなくなりますが、無形資産は持続的な幸福感を感じさせてくれる要素をふんだんに含んでいます。他者のコミュニティこそが充実した満足感を抱かせてくれるものであると理解させてくれます。

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