俺が人を助けるのは、そういう俺が好きだからさ

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人が傷付けられた、裏切られたと思う時は、往々にして人にしてあげた見返りを期待する打算が働いていた時では無いでしょうか。私が色々としてあげたのに、私には何もしてくれないのかと、勝手に期待をして、勝手に失望したことはありませんか。

人間には承認欲求がありますので、このような悲しい出来事が起きてしまいます。他人に認められたいとか褒められたいとかの思いが行動を起こすわけですが、その結果として自分が期待したもの、つまり認められるとか褒められるとかが返ってこなかった時、まるで損したとか騙されたかのような気持ちになるのです。

アドラー心理学ではこういった承認欲求を否定します。他人の期待に沿って生きるとは、他人の時間を生きることと同じことです。他人のために生きることと、他人に認められるために他人の願望のために生きるのは意味が全く違います。

禅でも、このような他人の時間を生きることを否定しています。禅の影響を受けた故スティーブ・ジョブズも他人の人生を生きてはいけない、ドグマ(常識や教義)に囚われず、心のおもうままに生きた方が良いと話しています。

そうは言っても人間は打算的な生き物、ついつい損得勘定で考えてしまいます。行為には見返りがあって然るべき、そのような考え方が善意の押し売りのようなことを引き起こしてしまいます。

そんな時はこう考えてはいかがでしょうか。

「俺が人を助けるのは、そういう俺が好きだからさ」

これはアニメルパン三世part5にて主人公ルパン三世がヒロインを助けるときにいうセリフの一つです。予告編でも使われ、とてもルパン三世のカッコよさを表した良い言葉だと思います。

この言葉はナルシストのように思えてしまいますが、自分で自分を好いてあげないでどうするのでしょうか。自分を好きになれない自分を、誰が好きになってくれるというのでしょうか。

陶酔しろとまでは言わないですが、少なくとも自分を嫌っていては自分の存在を認められません。自分が人助けをする理由が、自分を好きになるためであれば、もうこれは誰も不幸にならないですよね。手助けするのも見返りを求めるためではないので変に他人を意識しなくてもすみます。

他人の人生を歩いてはいけませんし、他人の時間に生きてはいけません。それらは全て承認欲求と見返りを期待する心を傷つけるリスクの高い生き方です。全ての行為は自分のため。もちろん他人を蔑ろにして蹴落として自分だけが得をするという意味ではありません。

他人のために行うことは、他人に認められるためではなく自分を認めるために行うことです。他人から評価を受ける必要なんてありません。自分の評価は自分でしましょう。

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